渋谷2050

東京2050//12の都市ビジョン展が始まった。

今回の提案を考えるにあたり、1年ほど前から羽藤先生と議論していたのは、高齢化と人口減少による都市の非−中心化、モビリティのクラウド化といった、こ れから確実に起こりうると予測されるマクロな変化を実空間の都市に落とし込むことだった。山手線ネックレスのコンバージョンと郊外の関係を、リニアの開通 により東京の新たな中心となるであろう品川を中心に考えようとしたこともある。対象地を渋谷としたのは、年明けくらいであったと思うが、ターミナルハブから通過駅への変化、東急沿いに代表される惑星都市の台頭により、都市の非中心化、解放系から閉鎖系への変化が最も顕著に現れるであろう場所だったからだ。

これらのテーマは最後まで主要な要素であり続けたが、3月11日におこった東日本の震災は、今回の展示にとっても大きな転機となった。現代の変容し弱体化した人々の紐帯をいかにして新しい形として生み出せるかということが、いま再び考えるべき喫緊のテーマとして立ち上がった。

4月に回った被災地で見た、気仙沼の光景が忘れられない。静かな水面に崩れたタンクが映り込み、夕日を背に美しいとしか言いようのない 風景を作り出していた。何千もの命を奪った土地で見たその美しさが何を意味しているのか、明確な答えはまだ見つからない。しかし、そこで強く感じたのは、復興の過程でこの喪失の光景を失ってはならないのではないかということである。少なくとも、それが自分たちの世代に架せられた責務であるような気がしている。

これからの未来において、日本の社会は物質的に「豊か」にはならないだろう。少なくともこれまで日本が目指してきた価値観に照らせば、ここから先の社会は「成長」しない。震災 を経て、いよいよその現実から誰もが目を背くことは出来なくなった。何かを「足す」ことによって未来像を示すという手法では、もはや未来を示すことは出来ない。震災という巨大な喪失の想定のもとで、都市と人々がどのように立ち上がっていくか、そのために考えるべきことは何かを表したかった。
今回の提案は幅広いテーマを持っている。制度、紐帯、医療、モビリティ、等々、羽藤先生を中心とする東大チームのスタディにより、都市が立ち上がるための様々な視点が掘り下げられている。イントロダクションとしての動画では、都市という巨大な装置の中で弱体化した個人が自然(ジネン)の力を取り戻し、立ち上がろうとする姿を描いている。まさにコーディングの真骨頂とも言えるマイクロシミュレーションでは、平時、災害発生時、災害一年後の人々の動きを再現することにより、コードにより立ち現れる人々の姿を記述するその可能性を示している。

これら多岐にわたる今回の我々の展示において、隠された重要なメッセージは「過剰な真剣さ」である。本当は東京に震災などこないと思うのか。閉鎖系都市など出来ないと思うか。壁は、卵は?あるいはグランドコモンの巨大な墓は。こういったことを過剰なまでに真剣に考えることが求められている。「こうなるだろう」、あるいは「こうしたい」「こうなったらいいな」という将来像を示すことよりも、我々は、いま我々が考えなければならないことを結晶化させることを選んだ。それは結局、透明で綺麗なクリスタルなどではなく、不純物だらけの錆びた青い塊として立ち現れることとなった。 (Y)

 

■東京2050//12の都市ヴィジョン展

平成23年9月24日(土)~10月2日(日)11:00~19:00
会場:丸ビルホール  ※入場無料

http://tokyo2050.com/

 

気仙沼の風景 2011.04.18.

 

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